Winning Mosquitoの精神(3)

親仔3代連続総合優勝の銘血

さて、69年の成鳩選手権で総合優勝してビッグタイトルの道を歩み始めた花尻モスキート系であったが、このレースで総合2位に入賞したのがスパークであった。

このスパーク、モスキート号の直仔である。すなわち、モスキート号と基礎交配鳩クレオの直仔であったのである。これは、モスキート号の非凡な遺伝能力を証明する何ものでもなかった。

ファブリー系といえば、代を落としてから飛ぶという特徴をもっていたが、それはもちろん、今日のモスキート系のひとつの特長であることには違いないが、このスパークがわずか一代ですぐさま飛んだことには、興味を注がざるを得ない。

これは花尻氏の血統に対しての信頼による為せる業なのだろう。また、血統という真実を見据えることによっての実践なのであろう。

とにもかくにも、成鳩選手権で43-10034(スパークの兄の直仔)とスパークとが同着で1,2位を独占したことは、明日のモスキート系の光明となってあらわれてきた。

成鳩選手権の数日後、スパークは長万部合同1000Kに参加、一才未満で見事大阪総合優勝を果たした。この総合優勝、すなわちスパークをもって花尻氏に、モスキート系のある確かな手応えを感じさせた。続いて第6回成鳩選手権総合優勝、そしてモスキート号の孫もいよいよ本格的に飛び始めてきた。

これら孫の一連は、100Kで1位から10位独占、130K1位から10位全独占、130K1位から15位全独占を果たしたし、さらに200K、300Kと勝ち続け、高松宮賞では1位、2位、3位で、その時優勝したブルーチェッカーは大阪総合優勝、併催の大阪地区ダービーも総合優勝と70年の秋は大驀進の年であった。

その数日後、性能のみの同一条件の国際委託鳩舎で日本ダービー500Kレースが行われて、スパークとすみれの交配から作出されたペガサスが全国優勝を果たした。親仔2代の連続総合優勝を何なくやってのけてしまったのである。

このペガサスの出現によって、モスキート系はいよいよ理想から現実のものへと飛躍していくのである。

そして、ペガサスと細川英次郎鳩舎作出の68KA1181の交配から作出されたペナントは、74年の春に関西グランド長万部1000Kにおいて総合優勝。かつて例を見ない親仔3代連続総合優勝という偉業を達成したのである。

1974年は、近畿地区のレースマンにとっては厄年であった。春の200K、400K、600K、500K、700K、1000K、秋の200K、300K、500K、500K、1000K、それに日鳩大阪支部の200K、300K、650K、1000Kの15レースすべてに優勝を果たした。

その中でも追分700Kの地区Nは、17羽参加して17位まで15羽入賞で、1位から9位まで全独占をした。これは、近畿地区N当日の最多入賞記録であった。この地区Nで総合優勝を飾ったのが、モスキートスプリンターである。これにモスキートホープ、モスキートエースが続いた。

近畿の地区Nは決して楽なレースではなかった。当日は比較的晴天に恵まれたが、分速は956mで、全体の記録が50%を割るという状況であった。そうした中で花尻鳩舎の記録はまさに驚異であった。

以前行われた佐渡からのレースに、ちょっとした逸話がある。

レース当日30羽しか帰らなかった難レースで、花尻鳩舎は2位、3位を獲得、しかも当日2羽を記録させていたのは花尻鳩舎だけであったというのである。

「悪天レースで耐えて、天気の良いレースで勝負が決まる」と話す花尻モスキート系の性能は、言い得て妙である。

ペナントが総合優勝し、モスキートスプリンターが総合優勝した74年には、もう一羽のビッグタイトルレーサーが誕生した。モスキートエースがそれである。

ベルギーのファングレムベルゲン教授作出のバルセロナIN総合優勝鳩バルセロナⅡの直仔とスパーク×すみれから交配して作出されたこの鳩は、600Kと1000Kで優勝、近畿エースピジョン賞を獲得、これによって日本敢闘鳩舎舎を受賞した。

69年の成鳩選手権総合優勝から、スパーク、ペガサス、ペナントの親仔3代連続総合優勝、さらにモスキートスプリンター、モスキートエースの74年までを、花尻モスキート系のいわば創世期ということができよう。

モスキート号については、モスキートブック・パートⅡもご覧ください。

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