空前絶後の1シーズン2度の総合優勝
確かにモスキート号導入以前は、花尻鳩舎は強豪とはいえなかった。それが、導入後の5年間は連戦連勝のビッグタイトルを手中に収め、向かうところ敵なしの観が強かった。
この時期はモスキート号という血統を興奮しながらも冷静に見つめ、創造力という新しいテーマを培っていた。75年に入ると、モスキート系のオールラウンドな志向性が発揮されてくるのである。
その第一陣は、長万部チャンピオン75。その名のとおり、75年の春に長万部CH1000K近畿総合優勝を成し遂げたモスキート系の長距離スペシャリストである。
74年に1000K5位の後、75年には1シーズン1000K連続で飛び、しかも総合優勝した長万部CHへの参加は中6日という恐るべきタフさを持った鳩である。血統は、当時バルセロナレースで絶対的な強さを誇っていたベルギーのJ.マタイス鳩舎の筋で山口喜久一郎鳩舎作出の議長さんと、モスキート号戻し配合の直仔であった。この1000Kは、11羽参加して10羽帰りという近畿最多入賞を飾った。
この年は、長万部チャンピオン75をはじめ、その配合鳩でモスキート号直仔のアイアンクロス、モスキート号孫のモスキートジャガール等の活躍、さらには秋に、モスキートエースの妹モスキート楓の楓賞200K近畿総合優勝などもあり、全日本優秀鳩舎賞を獲得した。
長万部チャンピオン75の長万部1000K総合優勝によって、モスキート系の長距離制覇への夢を拡大しつつあった。これは勝ち続ける男の直感であり、閃きでもあった。そうして、花尻氏がモスキートを信頼するように、モスキートもその信頼に十分応えたのである。
76年に、その直感力は的を得た。空前絶後の1シーズン2度総合優勝鳩が誕生したのである。74年に関西グランド1000Kで総合優勝ペナントに遅れをとって総合4位に甘んじたオスカークインの直仔エクセレントモスキートがそれである。
地区CH700Kではブッチギリの総合優勝、続く西日本合同長万部1000Kでは、2位を4日引き離しての超ブッチギリで総合優勝を成し遂げてしまった。
父親は近畿エースピジョン5位のバリアント、母親が前述の400K、600K、500K 各優勝で上位入賞以外せずのオスカークインという血統で、この筋はモスキート号、ファンブリアーナ鳩舎のバルセロナIN総合優勝のローレア、さらにはオスカー・デフレンドといった、花尻鳩舎が十数未求め続けてきたスピードバードの銘血の結晶であった。
これは花尻鳩舎にとって異血交配によるひとつの大雪収穫だった。
その年は、日本ダービー全国総合優勝のペガサスの筋で、富川務鳩舎作出のダブルダービーが再度日本ダービーを制覇。富川氏の厚意により、このダブルダービーは花尻鳩舎に逆導入され、モスキート号親仔配合直仔との交配で、当時不滅の記録といわれたツーアベレージ近畿総合優勝のトップスターを輩出しいる。
また83年の日本ダービー400Kでは、ダブルダービー、ペナント、ボルドーランサーの筋から竹下岳志鳩が作出したダービージャンプが、またもや日本一に輝いた。卓越した遺伝能力による連綿とした血統性の勝利だった。このダービージャンプも同様に逆導入されている。
モスキート号については、モスキートブック・パートⅡもご覧ください。